『人生とは旅であり、旅とは人生である』
彼のプレーを意識して観始めたのは、彼がJリーグにデビューした1995年。
高卒ルーキーが、デビュー数試合で、大人相手に試合を支配していた。
当時から独特の姿勢でプレーし、ボディバランス、体の入れ方が他の選手とは異なっていた。
小手先で相手を交わすのではなく、体を入れてしっかりキープし、切り込んでいく。
DFはなすすべなく、ファールで止めるしかない。
80年代初めにサッカーを始めた俺は、あーゆー体の使い方なんて習ってない・・・
多分、KAZUも・・・。
その後、オリンピック代表、フル代表を経て、セリエAのペルージャへ。
完全に興行面を考慮した移籍だった。
しかし、興行的なイメージいっぱいのジャポーネは、開幕戦のたった一試合で、
それを払拭してみせ、わずか数試合で、弱小チームだったペルージャを
NAKATAありきのチームに変えてしまった。
眩しいほど輝く21歳に果てしない未来を感じた。
その後、サッカーバブルも追い風となり、多額の移籍金で、ローマへ。
ここまでは、セリエAの並居る選手の中でも、特別な選手のひとりだった。
だが、ローマには絶対的な存在であるトッティがいたことにより、控え選手の扱いが続き、
出場機会を求めパルマへ移籍する。
結果論になってしまうが、ここが大きな分岐点だった気がする・・・。
このチームへ行くまでの中田は、常に攻撃的なMFのポジションでプレーし、
ある程度の自由を与えられていた。自らその地位を確立してきたと言ったほうが
適しているかもしれない。
しかし、パルマで与えられたポジションは、右MF。
中央に入っていくことも許されず、ひたすらライン際の往復を課せられた。
「キャプテン翼」の滝くんのように・・・。
特にスピードがあるわけでもなく、ディフェンスがうまいわけでもない、
このポジションならば、中田より優れた選手は、たくさんいたと思うのだが、
完全にひとつの駒として使われた。
何度か監督とも話し合いを持ったようだが、
受け入れられず、中田の良さは徐々に消えていった。
その後、ボローニャ、フィオレンティーナ、ボルトンに移籍するも、
結局、“輝き”は戻らなかった。
“輝き”
ここで言う輝きとは、そのチームの象徴、絶対的な存在ってこと。
間違いなく、現在も超一流であることに疑いはない。
しかし、ここ数年泥臭いプレーを強いられたことにより、以前のような輝きを失い、
汗かき役になってしまった。
そんな中田に魅力はない。本人もここ数年、自分の持ち味を押し殺し、
出場機会を得るために忠実に走り回り、自分としても不本意なプレーが続いたことだろう。
そして、自分が引退するというコトの重大さよりも、
自分らしいプレーをすることができる環境にある
日本代表として挑んだワールドカップが、この結果となってしまった・・・。
恐らくこの先、中田のような、プレーに重みがあり、ある意味図太いプレーをし、
欧州で活躍するジャポーネは当分の間出てこないだろう・・・。
無愛想を貫き通した彼は、最後まで彼らしく自身のHP上で引退を発表した。
ICHIROしかり、
長嶋茂雄しかり、
アントニオ猪木しかり、
スーパースターの考えを理解することなんて不可能なことなど
重々わかっている。
それぞれが、HIDEの本音を読んで感じればいい・・・。
ただ、世界でもっとも人気のあるスポーツFOOTBALLで
日本人の枠を超え、世界基準で評価されたのは
彼だけだってことは、忘れないで欲しい・・・。
それと、好き勝手に品のないブログを書き、偉そうに世界のZICOを叩いてきた
僕のことも忘れないで欲しい。
HIDEと同様、HP上から、引退を発表します。
『人生とは旅であり、旅とは人生である』
俺が「コラム」という旅に出てから、およそ・・・・
(中略)
半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約1年半過ごしたstilly webから
引退しようと決めていた。
何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、ブロガーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。
(中略)
新しい旅はこれから始まる。今後、プロの書き手としてHPに立つことはないけれどblogをやめることは絶対にないだろう。旅先のネットカフェで、パソコンで、小さな携帯で、誰かと言葉を交わす代わりにblogを書き続けることだろう。子供の頃のみずみずしい気持ちを持って――。
これまで一緒に書いてきたすべての方々、かかわってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。
“ありがとう”
TDC
はいっ、最後の最後にパクリですけど・・・何か?

